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UTSの海外研修留学について―教育者の立場から

UTSの海外研修プログラムと教育の未来

顧みて、日本では、徳川三百年の間の、長い国外出国の禁止令がありました。不幸にして難船などで、漂流した漁夫たちも、一たび外国の地を踏んだ者には、公的には死刑、許されても長い拘束と吟味の試練が待っていました。このような、日本と英米の外国留学に対する考え方の落差を、過去の歴史から、また実際の留学業務の経験から、UTSの留学制度は充分に考慮に入れている点は見逃すことができません。UTSの英国と米国のプログラムのコーディネーターや引率役を体験した筆者は、日本人の海外研修者が、歴史的体験の違いから来るとまどいや、無駄を少しでも軽減しようとしているUTSの配慮を高く評価したいと思います。
たとえば、団体行動を「秩序という名」のもとに無理強いしない。一方個人の無責任な自由奔放な行動には歯止めをかける。英国留学に伝統ある“tutorial”制を取り入れているし、米国ダートマス大学の研修にも“one-to-one”という一時間ほどのキャンパスの散歩を米大学院生と一対一で行い、毎日異なる相手と会話の実践を行う場が、自然に与えられるプログラムのあること。日本から出国の前にできるだけ学べることは学んでおくように勧告しているし、情報も充分に、常時オフィスに備えてあること、などが挙げられます。
これからのUTS留学制度の利用者は、日本にいる時から英語の学習を効率よく実行し、留学先では、その仕上げとするように心掛けたらよいでしょう。また一般情報も出国前に集め、一たび彼の地に移動したら、それを確認するぐらいの余裕がほしいところです。それには、留学先で柔軟性と積極性をもって、環境に身をゆだね、一方では「自分」とは何かを問い、よい意味での「個」の開発と、個性の発揮を実践してみることも大切です。悪い意味の「自我」「自分勝手」「自己中心」の強すぎる人々もいる異国の集団の中で、悪い方の限界も分かってくる過程で、個と集団の望ましいバランス感覚が身についてくるようです。そうすれば、帰国後も日本の社会から不必要に遊離することなく、東洋と西洋の真の「教育」が目指す、好ましい地球人として敬愛される仕上げが可能になるのではないでしょうか。その時、語学力や、知識や教養が真にあなたの持ち味として生きてくるのだと思います。
次に教育の場について考えてみると、古代では「師と弟子」の関係を通じて「対話」を行う場であったことは、中国でも古代ギリシャでも共通していました。ソクラテスの薫陶を受けたプラトンの“academy”では“dialogue”(対話)を中心として教育を始めました。英国の“The Royal Academy of Arts”(王立美術院)を始め、米国の“Military Academy”(陸軍士官学校)、“Naval Academy”(海軍兵学校)、“Police Academy”(警察学校)など伝統的な学校、学院に伝わるばかりか、ハリウッド映画界の権威ある“Academy Award”(アカデミー賞)から日本の巷の学校にその名をふんだんに使用されるほどこの言葉が広まったのは、周知の通りです。

宗教関係でも、児童や「縁なき衆生」には教育(伝統)が行われ、禅の問答とカトリック教の問答による“catechism”(公教要理/教養問答)に類似の方式が見られます。日本でも江戸時代には「○○塾」が起こって青少年の教育が始まりました。日本で最も古い創立(1858年)の私立大学の正式な名稱も「慶応義塾大学」なのです。学問のほまれ高い宗教人や学者を薫って、若者や求道者が移動する、すなわち旅をすることが先に述べたように、ヨーロッパの大学の発祥だったし、求道者の多く集まった據点に学者が赴く、旅をする形態が大学の発展につながっていった情況は、今日英国や欧州の古いたたずまいを見れば、それらが、かつては僧院であったことが容易にうなづけます。

大学の所在している町村は、大学と対立関係にあり、かつて“town and gown”という表現で表わされた紛争が絶えませんでした。しかし次第に互いが歩み寄り、19世紀以降は、大学の教育が限られたエリートの教育を脱皮して、地域に住む人々を含む公開講演が活発になりました。大学には、目には見えないけれども存在していた「壁」があって、異端者、女性、低収入者などを排除していましたが、「壁の外の」教育、英語で“extra-mural”という外来者対象の一般公開の教育も一つの型として発達しました。米国の“community school, community college”や英国の“open university”のようなキャンパスにこだわらないで、地域分散の研究会や、TVや放送による成人教育も世界的に並及しています。戦後の通信教育と、最近の衛星通信による、国境すら越えて行える教育の形態は今後更に、広範囲に、積極的に行われるでしょう。

教育の普及と拡散に伴う弊害である、教育の大量生産化に対極的に位して、守られているのは、精鋭教育です。一対何百という“lecture”(講義)を補う形で“seminar”(ゼミ)という、受講者中心の研究会、各種の科学的実験、外国語の“language lab”(視聴覚ラボ)の訓練形式があり、それに古代からの教育の原点として伝承されている一対一の“tutorial”の採用も捨てがたいものがあります。
これらの形態について、世界の各地でいろいろな賞賛と批判がなされています。曰く、「公開講演では、講演者の質の良し悪しが分かる頃には、もう講演は終わっている。」「大学の講義で、受講者の意見は問われないで、講義は一方的で独断になり易く、意見の交流がない。」英国の大学人は、米国で特に盛んなゼミナール形式を批評して、「ゼミとは愚者の溜り水のようなものである。」またその反対に英国の“tutorial”は「お金と時間がかかり過ぎ、弟子は師を超えることが少なく、また有能な弟子は師を捨てざるを得ない。」という声も聞きます。
教育の場と形態を広く考察すれば、自国で金科玉条…のように思っていた価値が、立場を変えれば、鉛のように見えてくるし、その反対もしかり、というのが多様性を多角形に眺められる海外研修のよさではないでしょうか。

UTSの海外研修生は、若いうちに、時と心のゆとりがあって、吸収力も強いうちに、特に言葉の習得と実践、文化の対照を、自らの目で見、耳で聞くことができるのだと思います。かつて何千年もの間、民族や人種を越えて、我々の共通の先祖が行ってきたように、成人となっては、自分の子供や、自分より後で生まれてきた人々に言語や習慣や知識や技能を伝え、広く「生きること」の意義を、世代の交代に当たって伝える立場になった時、うろたえず、舵を取り違えず、道を誤らない先達になりたいものとお互いに努力すべきではないでしょうか。
 
筆者略歴

専門は英米文学。特に18世紀の伝記文学を手がけている。米国・カナダ・英国での滞在が長く、合わせて15年ほどになる。1953年にフルブライト留学生として、女子大の草分けであるニューイングランドの名門女子校、マウントホリーオーク大学で英米文学の修士号を取り、その後カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で、日本語・日本文化を教えた。その後慶応大学国際センターの兼任教授として、外国人に日本語、また大学院生に日本語教授法を教え、1972~74年にはオックスフォード大学ペンブルックカレッジで18世紀文学の研究に従事した。
大学の海外研修講師、サマーキャンプなどのプログラムディレクターとして生活に密着した外国語学習指導の経験豊富。

英検1級審査員。1978年UTSオックスフォードコース、1991年UTSダートマス大学(アメリカ)コースのリーダーを務める。
 
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